うぉーと吠える日々

たまに、うぉーと心の中で吠えています。メモがわりに書いているので、乱文です。ご容赦くださいませ。

なんということだろう

昨日、洋さんのツィートで原先生の訃報を知る。

YSA等でも気さくに参加されていた姿が印象的で、9月に洗足音大であるサックスの演奏会の告知を、ご本人がつい2週間ほど前にされていたのに。

 

生きているときに、もっと原先生の音に触れて耳を肥やして、自分の練習のなかに思いを沈めておくべきだったと猛烈に反省している。

 

これから朝練なので気持ちを引き締めて、楽器に音楽に向き合おうと思う。

 


f:id:stonemalachite:20190825054215j:image

 

深く関わった皆様の心中をお察しします。

そして、先生のご冥福をお祈りします。

まかせちゃいなよ

今日は所用で都内に出る。

車で最寄り駅まで出て、park&rideを使う。

本当は家族の楽器を選定に行く約束の日だったんだけれど、私がいなくても大丈夫だと思って、他の用事を優先した。

私でも大丈夫だけれど、私がいなくても大丈夫なら任せちゃおう、という考えに切り替わったのだ。

下半身のワークに取り組んで2週間近く、判断や諦めるべき所は諦めがつくようになってきた。苦手なジャンルだったから嬉しい。

 

 

家に昨日買い求めたお土産類を忘れてしまい、東京駅で買いなおす。

まあ、仕方ないかぁと思って手土産を買い直した。

後に買い直して持参したものが、先方の欲しかったものだということがわかった。

 

良くできてるなぁと思う。

仕合わせたような出来事だった。

 

アドバイスを色々もらい、面白い時間の流れを体感した。

去年よりも、半年前よりも焦りにくくなっているなと思う。

ひとつひとつの出来事が、いまの自分のコンディションや姿勢を教えてくれる。

 

人とは交わるけれども、個であること。

できてるようでできてないし、自分の気持ちがどちら側に向いているのかは、自分が一番わかっているんだけど向き合えなかったりするときもある。

一番ずるいのは自分だし、一番楽しんでるのも自分なような気がする。

そんなことをぼんやり感じた1日だった。

落ち込む

今日は床を全部拭いてまわる。

掃除機ではとれない煤がついていて、雑巾があっという間に黒くなる。

 

今日はほんとに参ったなぁと思うくらい泣いた。

 

私の父親が色弱なのだけれど、息子に遺伝している可能性が出てきた。

色覚検査の結果が再検査だった。

 

夏休みに入ったら、と思って検査にいこうかなと思っていたけれど、なんだか掃除をしていたら、涙が止まらなくなった。

 

私が子どもをもつのをためらった理由のひとつが、この事だったからだ。

もちろん、障がいのある人を否定するわけではないけれど、子供ながらに聞かされた父親の話が頭からなかなか離れないのもあった。

 

息子に父親の質が出ているかもと思ったのは今月に入って2回目だ。

 

正直、父親の陰をぬぐうのは私だけでいいのにと思うのだが、息子はそういう役割を担っているのだろうか。申し訳ないと思う。

 

息子は絵を描くと独特のよさを持っているし、今は技術が障がいをカバーしてくれる。

本当によい世の中になった。

だから、私はよいことをイメージして祈るだけにした。

 

彼には小さい頃によき覆いをかけてあげることが出来なかった。

今年に入って、中国茶のクラスを受けてから特に息子を受け入れやすくなったように思う。私には足りないところを時間をかけて埋めてくれた感じがする。

 

伝統って、本当に不思議だなと思わざるを得ない。

マックス(Daoshr)に会いに行く、と決めたのはコーディネーターの講座の紹介文の中に、私しか知らない、基礎に埋設した石からのメッセージと同じ言葉が書かれていたから。

 

内側と外側の響きが同じとき

扉が開かれる

 

という感覚があって、同じ言葉を見たときに私は今、跳ぶタイミングなんだと思った。

もう直接見ることのない石が、私たち家族のために残した言葉が、まさか他人の口から語られるとは思いもよらなかった。

 

マックスのクラスを受けると決めて、暫くすると小さいときの頃から、思い出が走馬灯のように出てくる。

これは、見ないようにしている人から見たらキツイかもしれない。

私もキツイさ。あはは!

 

できることをこなしながら、9月を楽しみに過ごそう。

言語は思考の基礎なのか?

一昨日からホームステイの子が家に来た。

初日から衝撃が走る。

 

完了形、という文法の理解が低くて使いこなせていないのだが、外国においてはとても重要な概念なのではないか?という事に気づいた。

 

連なりのなかに、自分がいるという意識を常に持っているということが文法的に規定されているんだろうか。

 

受験とかTOEICで頑張って勉強していたのに、活かされとらん。

 

単語がパパっと出てくるので、それを慌てて繋いでいくという感じで文章を作る。

なので、時制や受身を瞬間的に捕まえていくような不思議な感覚だ。

 

来年までに、マックスやディアナに会いたいのだから、気持ちを高めて楽しみにして準備をしなきゃ、と思う。

思いが高まっていない状態で会うのは、何だかもったいないというか何というか。

もっとギュウギュウ、グイグイ我が道をいっちゃいたい気分になる。

 

 

深夜の地震、お気をつけて!

私も落ちたら困るものは片付けします。

知らない世界

昨日は頼んでいたチェーンソーが届いたので、早速丸太をカットした。


f:id:stonemalachite:20190607043030j:image

 

丸太は皮があると乾きにくいと聞いていたので、皮がとれそうなものから鎌を使って取っていた。

 

丸太はほぼ1年、切り出して置いてあった。その中の土に近いものの木の皮を取ったときだ。

木の皮の下になんと、ミミズがいた。

ミミズが入り込んで、皮の下に土を作っていた。

続けて皮剥ぎをしていくと、何かの幼虫もいる。そして、根っこがいっぱいできていて、丸太の一見して見えないところで、新しい世界が展開していたのだ。

丸太から根が出て、新しい芽が出るのか。

 

ものすごく、衝撃を受けた。

見てはいけなかったのだろうか?と、自分の想像をはるかに越えた、生物の世界を開いてしまったような気持ちになった。

木から土ができている。

見えていない世界の、力のすさまじさを見たように思う。

 

覗いてはいけなかったかも、

という畏怖の念と

物知らずな自分の頭がカチ割られた、

清々しさが残った。

 

私は幸せだ。

そういう世界が私に飛び込んできて、私の世界を変化させてくれる機会に恵まれることが、グッと増えてきた。

 

情報や知識を取りに行かなくても、触って感じているうちになんとなく、

そういうものなのか

という気持ちになることが多くなった。

 

取りに行かなくてもいいんだな

ということで昨日の午後は満たされていた。

そういう時は何があっても満たされ、他者をも満たされる空間に巻き込むようだ。

そういう場面に遭遇することの増えた自分になったことがとても嬉しい。

 

アニマンダラレクチャー2019を受けに行ったが、そこから拡がる世界が私にもたらした知覚の変化にとても驚いている。

 

7月の第2回の講座がさらに楽しみ。

猫見つかる

知人の猫が見つかった。

一昨日、晩に戻ったらしい。

怪我もあって、食欲がないらしいが戻ってきて本当によかった。

 

猫は不思議なところがあって、たまに家出する。

娘と水を汲みに行った折りに、二人で草笛をならしながら居なくなった猫を想う。

 

こうなったら私たちは祈るしかない。

また娘と猫が遊べるように、娘の友達が元気な顔で暮らせるように。

 

いないことでいることがわかるのって、何だか不思議。

引き算の生き方も、大切なんだな。

陰徳をつむ

この前、仙骨の治療に行った。

戻りも兼ねていたので、子供達と一緒に伺った。

この時初めて、娘が仙骨の治療に入りたいと自ら先生に伝えた。

そういう時期なのかなと思った。

娘は娘なりに悩みやファンタジーがあり、私と見え方も持っている質も異なるだろう。

彼女の決断を尊重しようと思う。

今までやっていたワークについて、自問自答したところ、陰徳が足りないとあったのだ。

治療の時に話をすると、治療は陰徳だよ、といわれる。

そうか。積めるものは積めるときに積んでおこう。

うーん。質問や疑問は細かいところまで明確に問わないといけないなぁ。

 

 

昨日は近くに住む方が遊びに来てくれた。

お茶を一緒にのみながら、居なくなった猫の話をする。

 

自分の意識の影響の及ぶところを、マーカーをつけて見ることができるなら、私はもう少し意識というものを大切に扱えるのだろうか?

 

昨日は新月だったので、子ども達とヘナを塗る。やり終わって、ものすごく喉が乾いた。

からだの中の水が動いたのだろう。

夜のお茶ものむことができた。

とても良い1日だった。